吉林省長春市は厳しい寒さで、降り積もった雪が路面に固く凍りつき、ツルツル滑って危なかった。しばらくの間、朝日の照らす白い道を慎重に歩いて中国語のクラスに向かい、教室に到着するとホッとしていた。
王先生は、私の母と同じくらいの年齢であろうか、いかにも中国の女性といった雰囲気で、厳格で美しい人だった。時々、なにか面白いことがあると、口元を緩め目で笑う様子を見るのが好きだった。クラスメイトの一人が、中国人は犬を食べるのかと質問したとき、「狗是人的朋友,不能吃!(犬は人間の友達だから、食べたらいけない!)」といいながら、いつものようにその言葉を黒板に書いて、発音と文法を解説された。
カルチャーショックは人並みに体験したのではないかと思う。到着後の三日間、旅の疲れと異言語疲れが相まって、留学生寮でじっとしていた。実は一日目に超市(スーパーマーケット)に行ったのだが、ピンクや青など、日本には置いていないようなビビットな色彩が目に飛び込んできたときに、ああ、ここで一年を過ごすのかと密かに動揺した。四日目にしてようやくちょっと探検しようという気になり、一人で近くの小さなレストランに入って水餃子を頼んだ。一口食べて文字通り固まってしまった。後に中国人の友人が、そのシャンプーのような味は「香菜(パクチー)」だと教えてくれた。その後毎日、「不要放香菜!(パクチー入れないで!)」と馬鹿の一つ覚えのように、いや、まさに一つ覚えで叫んでいた。
留学生寮で働いていた二人の阿姨(アーイー)の顔を、難なく思い出すことができる。一人は、廊下で出くわすといつも笑顔で話しかけてくるので、私も出かける先や、夜ご飯の内容等を報告するようになった。少し話す度に、中国語が上達していると褒めてくれた。もう一人は、私の祖母くらいの年で、口数は少なかったが、時折部屋に果物を届けてくれた。もしかしたら、そういった小さな出来事が当時の私を支えていたのかもしれないと、今になって思う。
二○二五年六月十一日 北京