六 再見、長春

 帰国の日が迫っていた。ついでに期末試験も迫っており、確か総合、作文、口語、聴力の四つのクラスを取っていたため、それぞれ試験前日は一夜漬けで準備した。舌足らずな発音ながらも、この一年である程度話せるようになったので、留学生活後半では言語の苦労はほとんどなかった。もっとも、留学生寮での生活を通じて、グローバル言語はやはり英語なのだと実感した。帰国後、イギリスに留学していた同級生にその点について話してみたことがある。彼は、英語は仕事等で嫌でも勉強しなければならない機会がいくらでもあるから、私が英語以外の言語を習得したことは羨ましいことだと言ってくれた。
 早朝、部屋を引き払うとき、持って帰らないものを処分しようとしていたら、阿姨たちがソロゾロとやってきて、布団カバーや鍋類などを持って行った。タクシーを呼んで、玄関口で眠たそうにしている守衛のおじさんにさようならを言った。
 Jが書いてくれた手紙を今も大事に持っている。その手紙は次のように始まっている。「可爱的〇〇。永远没有最后一次。我相信,分别是为了更好的重逢。(可愛い〇〇。永遠に最後の一度は無い。別れはより良い再会のためと信じている。)」
 飛行機の窓から大陸を見下ろしたとき、これがひとときの別れであることを知っていた。王先生が、「長春」には悠久の春を願うという意味があるのだと教えてくれた。それは生命の息吹、絶えることのない希望を表している。
 長春で過ごした日々を懐かしく思い出すとき、少しの切なさの中に、繊細な、小さな女の子に出会う。胸がチクリと痛む私に、彼女はいつも、それでいいのだと優しく微笑みかけてくれるのだ。

 

二○二五年六月十四日 北京